スタディルーム



梅雨の明けた空は薄いベールを一枚剥いだように、青い空が広がり白い雲が流れる。

爽やかな初夏の風は緑の芝生に吹き渡り、木漏れ日の中で本を読む僕の髪を掠めて行く。



サラサラと乱れる前髪に 思わず手が行き目を細めて見上げれば

木々の梢(こずえ=枝の先端の方)がふわりふわりと揺れている 

隙間から差し込む陽射しは 波のように煌めいて

美しき光の世界は自然の成せる業 尽きぬ光景は永久(とわ)に輝く





「・・・聡!」

「わぁっ!・・・和泉、もう・・・驚かさないでよ」

全く無防備でいたところに後ろからいきなり名前を呼ばれて、手にしていた本を落としそうになった。

振り返ると和泉が呆れた顔で立っていた。

「やっぱり聞こえてなかったのか・・・。上の方見てたようだけど、何か面白いものでもあんの?」

和泉はひょいと見上げたものの、眩しそうな表情をしただけだった。


「・・・何も。・・・ぼんやりしていただけだよ」

「ふ〜ん・・・。どうせ木の枝とか葉っぱ見てたんだろ」

素っ気ない言い方も相変わらずで、何となく三浦に言っていた先生の言葉を思い出した。


―和泉はいくら言っても手伝ってくれないんだ、花なんか興味ないって―


「ふふっ、本当に良くわかったよ。先生が和泉に花の世話を頼まないわけだ」

だけど先生は、特別困った顔をしていたわけではなかったけれど。

「・・・何だよ、それ。聡は兄貴と趣味が合うもんな。
おれだって別に花や木が嫌いってわけじゃないぜ、興味がないだけだ」

和泉は頬をぷっと膨らませて横に座った。

「そうだね。和泉のせいじゃないんだけど、友達がしょっちゅう先生に花の世話の手伝いで呼び出されるってぼやいていたから。
友達も和泉と同じで、花には興味ないって言っているんだけどね」

「それが普通だって。その友達も嫌だってはっきり言えばいいんだ。
・・・その友達って、前に病室に見舞いに来ていた三年の奴ら?」

和泉にはバスケットの試合から、渡瀬たちが強く印象に残っているようだった。

あまり良い印象ではなかったのが、病室で鉢合わせしてさらに悪化してしまった。

特に三浦とは、試合で掴み合いになった雰囲気をそのまま再現したかのようだった。


「そうだよ」


違うよと言えば良かったのだろうか。しかし、もうそれは言えなかった。

前に何度か和泉と話をしていて渡瀬たちの名前を言わなかったことはあったけれど、いまはお互いの顔を知る存在になっている。

「三浦が・・・8番が三浦、7番が渡瀬、6番が谷口。番号と顔は一致してる?」

「・・・してないわけないだろ」

予想通り不貞腐れた顔で、和泉が頷いた。

「その三浦がね、嫌だって言ったんだけど軽くかわされちゃって。それ以上は言えないだろ。
和泉だって他の先生には言い辛いはずだよ」

「まぁ・・・それはそうだけど。うちの学校って、先生との慣れ慣れがないからなぁ」

「指導部の先生なら、なおさらだよ。・・・でもね、本条先生は命令とかじゃないんだ。
他の先生よりむしろ話し易いよ。なのに逆らえない。たぶん・・・」

「たぶん・・・?」

和泉は怪訝そうに語尾をオウム返しに聞いて来た。


「先生も和泉と同じで、人の話を聞かないんだ」


その後は真っ赤になって怒った和泉が、お腹を押さえながら笑い転げる僕の上に圧し掛かって来て、手荒い洗礼を受ける羽目になってしまった。

それでも僕の息が上がると、和泉はすぐ身を引いた。


「聡まで何だよ・・・それって水島の受け売りだろ。あいつ、聡とはよく話してるみたいだからさ」

「あははっ・・・はぁ、はぁ・・っ・・水島君には委員会のこととかクラスのこととか、手伝ってもらっているんだ。
でも仲がいいのは、和泉の方だろ」

委員会を代理で出席してもらって以来、水島とは何かと話す機会が増えていた。いろいろ話しているとおのずとわかってくる。

和泉から物静かで仲裁役と言われた水島は、大柄な体つきと大人びた雰囲気が冗談を言い難くしているのだろう。

クラスメイトたちが一目置く中で、和泉だけは何ら変わることはなかった。

水島も和泉とは軽口を叩き合うこともしばしばだった。


「水島とは中等部でずっと同じクラスだったんだ。高等部でやっと離れたと思ったら、また一緒だよ。
・・・おれさ、一年ブランクで入学しただろ。始めの頃は変に意識しちゃって、しゃべれなかったんだ」


遠い日の、昔を懐かしむような笑顔で和泉は話し始めた。


「あいつは委員長だったから、クラスの中で浮いていたおれのことをなんとかしなきゃって思ったのかもね。
・・・そうであったとしても、最初に声をかけてくれたのが水島だった」



―本条君、バスケットしない?メンバー集めてるんだ―

―・・・・・・したことないから―

―えっ、ないの!?・・・じゃあ、しようよ。教えてあげる―

―・・・面白い?―

―うん。ドリブルで走って、ゴールネットにシュート!決まるとみんな大きな声で言うんだよ―

―・・・・・・―

― ナイス シュート!!本条君!!どう?面白そうだろ―


「そん時からあいつ眼鏡掛けてたな。
中一のくせにやたら大人びた仕草で、クイッと眼鏡のブリッジ(左右のリムをつないだ部分=鼻の中央)を上げながら笑うんだ」

「へぇ・・そうなんだ。和泉がバスケットを始めたのは、水島君が誘ってくれたからなんだね」

「ん・・・気がついたらいつの間にか、みんなと一緒だった。
クラスメイトだけじゃなくて、バスケを通して他のクラスの奴らともね」


和泉は両手を頭の後ろに組んで、仰向けに寝転がった。

水島が手を差し出しクラスメイトが呼応して、和泉が自分の力で殻を打ち破った。

乗り越えた証は和泉の横顔にあった。

空を見上げる和泉の横顔には、何の翳りも見えない。


「じゃあ水島君もバスケ仲間なんだね」

「中等部まではね。高等部になってからほとんど顔を見せなくなったんで誘いに行ったら、
いつまでそんな遊びしているんだって、覚めた顔で言われたよ」

「反対になっちゃったね。誘われた和泉がバスケットにハマって、水島君が抜けてしまったんだね」

「そうだよ、あいつ・・・。おれのこと誘っておきながらさ・・・」

和泉から洩れ出た言葉は、僕にではなく水島に言っているように聞こえた。

どことなく寂しそうな和泉に、ふと渡瀬たち三年生との試合について一生懸命話していた水島を思い出した。


―水島君、観てたの?―

―観てましたよ・・・―


水島は和泉の性格をよく把握していて、その上でチームに与える影響などもひと通り語っていた。


―僕より君の方が監督に向いているよ―


その言葉は間違いではなかった。

横に寝転ぶ和泉と交差して、眼鏡の奥の瞳を細める程度の反応しか示さなかった水島の表情が思い浮かんだ。


「・・・だけど、飽きたとか嫌いになったとかじゃないと思うよ。前の渡瀬たちとの試合も観ていたって言っていたし。
僕もチームの監督として、今後の課題を教えられたよ」

「水島、観てたって?・・・ふ〜ん、今後の課題ね・・・。何て言ってた、あいつ」

和泉は水島が観ていたのは知らないようだった。

意外そうな和泉の声は、少し上ずって嬉しそうにも聞き取れた。


―特訓するより、まず人の注意を聞くことですね。特に本条はね。試合の敗因はそこですよ―


「やめ・・・和泉!・・僕が言ったんじゃないだろ!」

水島の言葉をそのまま伝えた途端また和泉に圧し掛かられて、芝生に押し付けられてしまった。

「さっきら聡、笑い過ぎだ!そら見ろ!やっぱり水島だ!どうせ二人で笑ってたんだろ!!」

すぐムキになる和泉がつい可笑しくて、笑ってなんていないよと言う端から笑いが零れた。


穏やかな午後、遠くに温室が見える。

いくつか点在するその建物の周りは緑の森に囲まれて、手前には色とりどりに広がる花畑。

「あーっ、やってらんねぇ!」

和泉は花畑を背景に、大きく伸びをして立ち上がった。

中でもひと際目を引く向日葵の群生が、雄々しく天に背を伸ばして咲いていた。


「・・・試験前だからバスケットはないよね。僕に何か用事?」

「そうだった、忘れてた。聡に試験勉強付き合ってもらおうと思って、呼びに来たんだ」


一学期、期末考査の前に行われる実力考査。

運動も最新の設備を備えてそれなりに盛んだが、クラブは存在せずあくまで勉強が基本の進学校だった。


「いいよ、明後日からだからひと通りおさらいしておこうか。スタディルームに行く?」

「・・・うん。あ〜あ、実力考査終ってもすぐ期末かぁ。バスケが出来ねぇ〜!」


素直に自分の感情を表す和泉の、明るく活発で真直ぐな心。

並んで歩く和泉の横顔を見ていると、花畑の中の向日葵の群生が目に浮かんだ。







高等部二年生 スタディルーム。

自習室のようなもので、先生も常駐ではないけれど時間毎には必ず顔を見せる。

勉強に必要な教材や資料も全て揃っており、生徒が自主的に学ぶ設備が整えられている。


「本条?スタディルームになんて珍しいね。・・・村上さんも」

「水島君・・・」

部屋のドアを開けると、入り口付近に座っていた水島と目が合った。

水島は本当に珍しいという顔をしていた。

「珍しいは余分だろ。それより水島、聡にあんまり余計なこと言うなよ」

偶然にもさっき話をしていたばかりの水島を目の前にして、和泉が黙っているわけがなかった。

「余計なこと?」

しかし和泉には続きでも、水島には何のことかわからない。一瞬眼鏡の奥の瞳がきょとんと見開いた。


「なんでもないよ、水島君。和泉に余計なことを言ったのは僕の方だから。
・・・和泉、勉強の邪魔だよ。さっきの話、気を悪くしたなら謝るから・・・」

和泉も本気ではないにしろ、言い合いにでもなったら周囲に迷惑が掛かる。

とりあえず水島の席から離れた場所に座ろうと、和泉の腕を引いた。


「う〜ん・・・俺が本条のことで村上さんに話したことね・・・。バスケのことか?」

水島の言葉に、離れかけた和泉の足が戻った。

「そうだよ、わかってんじゃん」

「本条はそれしかないからな」

水島はクイッと眼鏡のブリッジを上げながら、視線を教科書に戻した。


―・・・クイッと眼鏡のブリッジを上げながら笑うんだ―


水島に笑顔は見られなかった。


「おいっ!それしかないって、どういう意味だ!」

和泉は水島の言葉より、態度にカチンと来たようだった。

スタディルームに和泉の荒げた声が響いた。

「和泉、声が大きいよ。みんなの迷惑だ」

周囲も気がついていたようだった。

相手が水島だとわかるとざわつきも一層増し、先生不在がさらに周囲のみんなを煽るかっこうとなった。


「水島と本条!?本気(マジ)かよ!」

「本条は短気だからな」

「水島!はっきり本条に言ってやれ!」


スタディルームの中は、一気にヒートアップした。


「・・・本条、止(や)めよう。村上さんの言うとおり、みんなの迷惑だ。・・・冗談だよ」

水島は周囲を横目で見ながら、和泉がそこまで食って掛って来るとは思っていなかったようだった。

「何が冗談だ!聡にそれだけ言ったんだったら、お前がやって見ろ!!」

「和泉!」


「行けー!本条!!」

「気取ってんじゃねぇぞ!水島!」

「本条!水島の気取った面の眼鏡を引っ剥がしてやれー!!」


広大な敷地を所有していても、彼ら(生徒たち)の限られた日常の生活範囲、規則、人間関係、その中に生じる閉塞感は否めない。

時に乱暴に、形となって現れる。


「・・・っ、本条!」

掴み掛かって来た和泉を避けようと体を反転させた水島だが、その勢いでテーブルの縁(へり)にぶつかってしまった。

追い詰められた水島の背後を和泉の手が掴んだ。


「――― 先生が来るぞ!!」


見張り役の生徒の声に、一斉にガタタッ!と椅子を引いて着席する音が響いた。


「・・・その手を離せよ。こんなところ見られたら、俺たちだけ差し棒だ」

「そうみたいだな・・・。何だあいつら、人のことで散々騒いでいたくせに。おれたちだけって、不公平だよな」

和泉が横目で周囲をジロリと見ると、みんな一様に我関せずと知らん顔を決め込んでいる。

水島は眼鏡のブリッジを上げながら、脱力した和泉を押し退けた。


「・・・ん?水島、眼鏡変えた?」

半分は周囲に煽られていた和泉と水島の仲違いは、周囲の薄情さでまたいつも通りの二人に戻った。

「えっ、ああ・・・壊れたんでね。あまり印象が変わるのは嫌なんで、似たようなフレームにしたんだけど」

「ふ〜ん、おれなら違うのにするけどな。フレームが違ったくらいで印象は変わんないって。
そうだな・・・眼鏡を外したら変わるかな」

「小学校から掛けてるんだ。外したら自分でも俺じゃない感じだよ。・・・あっ、先生だぞ、本条」


静かにドアが開いて、先生が入室して来た。

スタディルームに微かな緊張が走る。

ひと足先にテーブルに着いていた僕の横に、和泉も慌てて着席した。


時折向けられる先生の視線を前に、スタディルームは何事もなかったように普段の雰囲気に包まれて行く。

自主性を重んじるスタディルームは教室での授業とはまた違って、生徒同士が教え合い考えを述べ合う。

或いはグループで研究課題に取り組むなど生徒中心で、その補佐に先生はいるといった感じだった。

机も個々ではなく、テーブルが配置されている。

教科の内容は全て設置のパソコンから閲覧可能(プリントアウト可)、必要な資料(参考書類)もずらりと本棚に揃っている。

授業中では話し声の聞こえない生徒たちの声が、ここでは活発に飛び交う。

もちろん友達やグループだけでなく、個人での利用も多い。水島もその一人だった。


「・・・和泉、試験のあたりもつけてないね。どうするつもり?いまからじゃ、徹夜でやっても追いつかないよ」

「範囲が広すぎて、わかんなくなった・・・。おれ、聡みたいに勉強得意じゃないから・・・」

「勉強は本分(ほんぶん=本来尽くすべきつとめ・義務)だろ、得意も不得意もないよ。
とにかく、バスケットをやるくらいの集中力でするからね」

和泉も自分でわかっているのか、決まり悪そうに顔を赤らめながらも素直に従った。

それからはひたすら試験勉強に没頭した。

気がつくと水島は退室していて姿は見えなかった。



次の日は寮の和泉の部屋で一緒に試験勉強をした。

和泉はずっと教科書とノートを広げていて、途中ふざけることも気を抜くこともなかった。

勉強は不得意と言いながらも、やはりそこは偏差値の高い進学校で学んでいるだけの学力はある。

和泉の集中力は凄かった。







中等部・高等部実力考査 一日目。

試験は一時限から四時限までの午前中で、三日間続く。

さすがに試験中は、体育館もグラウンドも閑散としている。


四時限が終了して、隣の席の和泉と話しながら10分間を待つ。

「聡のおかげで、何とか赤点だけは免れそうだよ。へへっ、けっこういけてる」

「和泉の集中力が凄いからだよ。期末はもう少し早く準備することだね」

「そう思うんだけどさ・・・。バスケットボールがおれを呼ぶんだぁ!」

「呼んでも期末が終るまで赤点圏内の人はバスケット禁止。監督命令だよ」

ふざけて言ったつもりだったのに、和泉は案外真面目に受け止めたようだった。

チェッと舌打ちをして、つまらなさそうに前を向いた。

またここで笑ったらムキになるのかな・・・少し意地の悪いことを考えてしまうほど、やはり和泉は真直ぐだった。

そんなふうにクラスのあちこちで10分間を過ごす中、水島は窓際の席ということもあってか、待機中は窓の外を見ていることが多かった。




中等部・高等部実力考査 二日目。

滞りなく試験が終了し、午後からは明日で最終試験の追い込みに入る。

「和泉、図書室にこの間借りた本返しに行ってくるから。試験で返却日忘れるところだった」

「聡は余裕だよなぁ。試験中でも本読むんだな」

「気分転換にね。和泉ほど集中力がないだけだよ」



図書室はオフィスセンター内にある。図書室といっても一般の図書館並みの広さで、生徒だけでなく先生や職員も利用する。

図書室も含め事務局や医務室など、全校生徒、教職員に共通する施設のほとんどはセンター内にあった。

本の貸し出しについては、理由なく返却期日を過ぎると厳しいペナルティがある。

ギリギリで本を返却して、図書室を出た。


初夏の陽射しが、至るところで咲いている野の花に降り注ぐ。

マスクをしているので匂いは絶たれているけれど、視覚がそれを補ってくれている。

僕にいろいろなものを見せて気付かせてくれる。ああ、ここにも・・・。


雑草と呼ぶにはあまりにも可憐で、可愛い。

慎ましやかに道の片隅に咲く、名もなき花々。

小さな花びらの中の大いなる生命(いのち)。

生きる姿のなんと美しいことか。


目を前方に移せば、林や木々の間を縫うように咲く野の花。色とりどりに・・・金色の・・・

林の陰から見えたのは、金色の髪だった。

「・・・流苛君?」

小柄な体つきの少年が振り返った。

「村上さん・・・」

「珍しいところで会ったね。どうしたの、渡瀬たちに会いに来たの?」

ここは高等部の敷地内で、中等部の生徒が立ち入ることはあまりなかった。

「友達を捜しているんです。高等部の方に行ったって聞いて・・・」

「捜すっていっても、広いからね。ああ・・中等部は携帯が使えないんだったね。名前は?」

「竹原君・・・」

「見かけたら流苛君が捜してたって、伝えておいてあげるよ。・・・渡瀬たちにも言っておいてあげようか?」

流苛は少し考える仕草を見せたが、諦めた笑顔で首を振った。

「試験中に迷惑かけちゃうから・・・渡瀬さんたちにはいいです」

「優しいね、流苛君は」

金髪の髪、色素の薄い瞳、白い肌・・・最初に会った時と外見は何ひとつ変わっていないのに、ずいぶん印象が変わった。


少年は先生の膝の上から、大地に足をついた。


印象を変えるのは外面ではなく内面から溢れ出るもの、心の在り様なのだと目の前の流苛を見ていてそう思う。


「本当はね、ちょっと何か言うと三浦さんがすぐ大きな声で来るんです。
みんな怖がっちゃって・・・僕が迷惑なの」

やや困った笑顔で、それでいてとても嬉しそうに流苛は否定した。

「あはは、三浦はどこでも怖がられてるよ。
友達は・・・学校だから迷子の心配はないから、見かけたら声をかけておくね」

「はい、お願いします。・・・村上さん、ありがとう」


流苛とはそこで別れて、寮に戻った。

途中もう一度校舎の方にも寄ってみたけれど、竹原君という流苛の友達は見かけることはなかった。




中等部・高等部実力考査 三日目。

試験最終日。

眠そうに目を擦っていた和泉も、いざ試験が始まると真剣な眼差しで答案用紙に向かっていた。


二時限、三時限と進み、四時限目。


パンッ! 「―――そこまで!」

黒板に差し棒の当たる音がして、先生の声と共に三日間の実力考査が終了した。


「終ったぁ!!とりあえず、おれは寝るぞー!!」

「本条は、バスケットボールが呼んでるんじゃないのか!村上さんに言ってたじゃん!」

「うるせぇ!そういうイヤミを言う奴は、差し棒でお尻ペンペンだ!!」

「そらっ!本条、差し棒(定規)!」

「わわっ・・・!バカッ、やめろって!本条!!」

先生が退室して、10分の待機時間。

普段は席を離れることなく待つのだが、試験が終った開放感でみんなテンションが高くなっている。

注意する立場の僕も和泉たちのふざけている姿が楽しくて、つい笑いながら見ていた。


「みんな、席に戻れ。座って待つのが規則だろ。
それに先生が来たらどうするんだ。たった10分のことだろ」

「水島君・・・」

水島の注意にみんなの動きは止まったが、しかし高揚した気分はなかなか収まらなかった。

「しらけること言うなよ、水島ぁ」

和泉が水島の注意に文句をつけると、他のみんなも口々に続いた。

「そうだ、そうだ!」

「試験が終った直後の、この10分間がいいんじゃねぇか!」

「水島って真面目つうか、堅いよなぁ・・・」


「和泉、みんな、席に戻って。水島君の言う通りだよ。
本来なら僕が注意しなきゃいけなかったのに。・・・ごめんね、水島君」

「別に・・・いつものことですよ」

水島は無表情に眼鏡のブリッジを上げると、また窓の方に顔を向けた。


「水島と聡が合体したら、何かやり難いんだよな・・・」

和泉が不服そうに口を尖らせて、席に戻って来た。

「僕はとても助かってるよ。後5分もないんだから、大人しくして・・・・・・」

言いかけていたところに、突然教室のドアが開いた。

授業終了後の待機時間に、先生が来ることは滅多になかった。

みんな一様に驚きながらも、姿勢を正して先生を迎える。もちろん誰ひとり席を離れている者はいない。


先生が入って・・・・・・本条先生!?


「・・・兄貴・・・」


ざわめきが起こる。担任の先生とばかり思っていたところに、それも指導部の先生となると、より一層みんなに緊張が走った。


教壇に立った先生の胸には、教師用の黒い名札紐のネームフォルダがはっきり見えた。


―本条 志信(ほんじょう しのぶ)・教職 指導部―


「帰る間際に、みんなごめんね」

ニコッと笑うと、先生は少年のような童顔になる。しかもこのクラスには先生の弟もいる。

しかしそれらを差し引いても、指導部の先生に対するみんなの緊張は解(ほぐ)れなかった。


「水島 司、居るね。起立して」


みんなの視線が水島に向いた。

水島は何が何だかわからないという表情で呆然としていた。

再び先生の声が響いた。


「水島 司!起立!」


「はっ・・はいっ!!」

我に返ったように、水島は急いで起立した。


「君が水島だね。今日の午後5時までに、学校横の花屋に来ること。
そうだね、とりあえず一週間分の用意でいいかな」

「あの・・・どういう・・ことですか・・・」

淡々と話す先生に、水島の顔からはどんどん血の気が引いている。

「謹慎だよ」

「そんな!俺が何をしたって言うんですか!!」

既に水島の顔色はなかった。握り締めた両こぶしがぶるぶると震えていた。


「ここで言うのかい」


先に目を逸らしたのは水島だった。項垂れるように、目を伏せた。

痛いほどの緊張に、みんな身動(みじろ)ぎひとつ出来ない。


ただひとり、それを破る者がいた。本条 和泉。


「兄貴!何かの間違いだって!!水島はそんな、謹慎になるようなことする奴じゃないんだ!
バカがつくくらい、真面目なんだ!!本当だって!!」

和泉は訴えるように立ち上がった。

「・・・本条」

喉の奥から絞り出すような水島の声も、眼鏡のブリッジに手を掛けているせいでその表情は読み取れなかった。


バンッ!!


激しく黒板に打ち据えられる差し棒の音がした。


「和泉!着席!」

「あっ・・・」


小さくカタンと音がした。和泉は悔しそうに唇を噛んで、着席した。


「聡君」

「・・はいっ!」

先生はどこでも、誰の前でも呼び方は変わらなかった。

先生自身も和泉にはただ着席とだけで、先生と呼ぶようにというような注意はなかった。


「水島の用意を手伝ってやって。君なら、いろいろわかるだろう」

「はい・・・」


「それじゃみんな、時間オーバーしてしまったね。解散」

先生は教壇を降りて、教室を出て行った。


先生が出て行った後も、誰ひとり席を立つ者はいなかった。

謹慎になるような規則違反を侵した水島。

和泉は何かの間違いだと先生に訴えたけれど、僕は先生がみんなの前で謹慎を言い渡すほど厳しい措置を取ったことの方が不安だった。


ひとり立ち尽くす水島に、何と言えばよいのか誰も声を掛けられなかった。







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